先生達の発表会
研修初日。
今日から先生としての一歩を踏み出すのだと緊張と期待のなか、私は幼稚園の門をくぐった。
「子どもの主体性を大切にする園」そう聞いていたので学ぶことが多いだろう、一生懸命勉強させて頂こうと意気込んでいた。
クラスに入ると子どもたちは私を笑顔で受け入れてくれて、担任の先生も特に威圧的な感じはなく安心していた。
発表会が近いというので劇のお稽古が始まった。
他のクラスとの合同練習で、他クラスの子ども達とそのクラスの担任も見学しているなかでの練習だった。
劇が始まったとたんに担任は無表情になり腕を組んだまま子ども達を見ていた。
「全然聞こえないっ!もっと大きい声でーっ!」
「ふらふらしなーい!」
「どこ見てるのーっ!」
担任の甲高い怒鳴り声が飛び交うなかでの練習。
子ども達の顔に笑顔はなかった。どこか怯えている必死さを感じた。
子ども達はセリフも歌も必死に怒鳴るようにしていた。
そんなだから子ども達には劇の音楽は全く聴こえず、音楽と歌が合わない。
担任はまた怒鳴って指導する。
「音楽をよく聴きなさーいっ!」
子ども達は混乱しているようだった。
劇の途中で衣装の小道具を自分でつけなければならない場面になり、一人の子が手間取っていた。
担任はその子のもとに歩いていくと乱暴に小道具を手から奪い、強く腕を引っ張り稽古から外した。
私はあまりに突然の事に驚いた。
その子は一生懸命練習をしていただけで、ふざけていた様子も一切なかったのに…。
その子はそれから練習には入れてもらえず、私のそばで泣きそうになっていた。
担任が見ていないところで肩を抱き「がんばったね」と言うことしかできなかった。
「イベントのための保育はしない」「子ども達の満足感をなにより大切にする」
園の見学会の時に聞いた園長の言葉を思い起こした。
とてもそんなふうには見えなかった。
後日また練習があったのだが、その日はお稽古のために給食も急いで食べ、遊びの時間も削っての練習だった。
始まる前からなんとなく子ども達が疲れた顔をしているように感じた。
またひとり担任に目をつけられた子がひとり稽古から外された。(特にふざけていた様子はない。担任からは少しだれているように見えたのか?)
その子は泣きながら謝り担任のそばへ寄っていこうとするのだが、担任はそれを何度も手で押しやり拒んだ。
その後もその子は泣いてそばへ寄っていこうとするも、絵本を読み聞かせしている間も帰る時間になっても無視するのだった。
しばらくして私が廊下の掃除をしていると、今度は担任と別のクラスの担任からまだ同じ事で怒られていた。
また合同練習の日。別のクラスの担任も同じように不機嫌そうな顔で子ども達を睨み、甲高い声で子ども達を怒鳴る。
練習が終わった後、担任が子ども達に吐き捨てるように言った。
「アンタらほんまにむかつく~」
私は耳を疑った。これが保育者が子どもに言う事なのか。
さらに、その担任は呆れたように笑いながら別の担任に「イライラするわ~」と話していた。それを聞いていた担任も笑うだけだった。それを子ども達は聞いていた。
保育者は子ども達のお手本になる存在である。だからこそ自身の言葉遣いにも十分に気を付けなくてはならないはずだ。
同期の友達から聞いた話では発表会の練習の際、1年目の担任がベテランの担任から劇の内容について「こんなので間に合うと思っているの!」と叱責を受けたそうだ。しかも子ども達が見ている前でだ。
これを見ていた子ども達と、子どもの目の前で叱責を受けた先生の心の傷は計り知れない。
発表会の主役はあくまで子どものはずだ。
子ども達が自信を持って、楽しんで練習する時間であるべきはずなのに…。
これでは発表会はもはや保育者の力を見せつけるために、子どもを大人の枠にはめて利用するだけのイベントに過ぎない。